- kuchipudikeiko
第3話 サティヤ先生との出会い
最終更新: 2020年7月1日
アカデミーを出ると、早速STD・ISDの看板のところに行って、教えていただいた番号に電話してみました。
◍日本人である。
◍ベンパティマスターのスタイルのクチプディを習うためにインドに来た。
◍クラスを探しているので、練習をみせていただきたい。
とりあえず、最低限、必要なこの3点を述べて、先生のお家に伺うアポイントメントを取りました。
ティーナガルのノースウスマンロードを曲がり、舗装されていない土の道を歩いていくと、
長家風?なつくりの、ちょうど昔の福生あたりにありそうな、そんな佇まいのレトロなアパートがあります。大きな敷地の中に駐車場でもなく、とりたてて作りこんだ感のない庭空間がバーンと広がっていて、その向こうに何世帯かが居住されているだろう感じの建物が見えました。
アパートのゲートを開けて庭の中に進みます。
カラッとした気の流れる明るく開かれた感じの場所に少しほっとして、
ピンポンを押しました。
中から出ていらしたのは、化繊のサリーを纏った目の大きなふくよかな女の方。
これが、私と最初の師匠、サティヤプリヤ先生の出会いです。
日本から来たケイコである事をお伝えすると、優しい微笑みをうかべて私と師匠探しに付き合ってくれている主人を迎えてくださいました。
通された家の中の一番大きなスペースには、大きなナタラジが鎮座するダンスクラスがありました。先生はこちらでクラスを取られているようです。
マハバリプラムで出会った舞踊が素晴らしかった事、アカデミーでクラスを拝見してきたこと、インドはバックパッカーでよく来ている事、インド料理やインドの文化が好きな事、などを言ったか言わなかったか、正直、覚えていません。
どの位、経ったのでしょう。
あれ?クラスを拝見させていただけるという話だったのだけれども、生徒さんはどこなのかしら?
ともかく、クチプディの全部に飢えている私には1分が1時間の様に感じます。
早めにお邪魔してしまったかしら?ドキドキドキドキ
いや、もしかしたら、クラスの見学をさせていただきたい件が、きちんと伝わってなかったのかも知れない!!!!
とうとう、待ち切れずに、物凄く、勇気を出して聞いてみました。
「あ、、、、、あのぅ、クラスは、、、、」
サティヤ先生は、「ちょうど今から1人フランスの生徒が来ることになっていますよ。もうクラスの時間なのだけれども。あら、遅いわね」と言われました。
(よかった、拝見できるのですね)
ク―チプディ、ク―チプディ!と心の中で手拍子しました。
そうこうしているうちに、外の道でブロロロロというオート(三輪タクシー)の停まる音がして、ピンポンと共に一人の小柄な整った身体つきの女の子が現れました。
先生から、フランス人であると伝えられていたので、てっきりアカデミーにいっぱいいた白人の感じを想像していたのだけれども、ナニ人?という感じの人。こんがり日焼けしていて、インドの女の子と言えば、そうなのかな?と思うかもしれない。
「少し遅れちゃった?」の様に悪びれずに言い、荷物を部屋の隅に置いて、パンジャビの胸の前にシュルシュルとドゥパタ(ショール)を巻き付ける彼女ををじっと見ました。
彼女は、見知らぬ外国人(私たちの事)がいて、今から練習を見学する事も、そして、みんなが自分の到着を待っていたような事も、全く気にも留めていない感じに見えました。
先生は、クラスの前方に座られます。私たちもその先生の隣に座らせていただきました。
ナマスカーラムをした後、いよいよダンスです。アカデミーでも拝見したあの基本のステップ(アダウ)をどんどん続けて踊ります。
先生のボル(ダンスに合わせたリズミカルな掛け声)
あ、これは、クチプディ独特のボル!!!!
カンカンカンカンッとリズミカルに鳴るタタカリ。
先生って凄いのですね、ダンスのボルを言って、タタカリを叩いて、そして、生徒の動きをチェックする。生徒は、途中チェックが入ると、何回もそのアダウをくりかえす。
小柄な彼女のしなやかではりのある身体は、ノリノリのクチプディボルとともに素早く動きます。素人の私にもそれは、綺麗に見えます。
どんどんリズムとダンスボルが変化していく。
その時のわたしには、この踊りの何がどのように素敵なのか、言葉で表現する知識もスキルもゼロでした。クチプディはノリノリで可愛くってかっこいい踊りだなー
それで、十分でした。1年前にマハバリプラムで出会ったあの公演の記憶がよみがえります。
このフランスの女の子は、きっちり踊られているけれども、何年くらい通っているのかしら?
見学が終わった後、その娘に聞いてみました。
「何年習っていらっしゃるのですか?」
「あ、今回4か月です」
「!!!!!」
「彼女は、ベーシックが終わって、ちょうど、最初のアイテムを習いはじめたところよ」とサティヤ先生。
「私はコンテンポラリーのダンサーなのだけど、ダンスだけでは、なかなか食べられないの。だから、エッフェル塔の近くのお土産やさんでバイトしているわ。インド舞踊は今回クチプディが習うのがはじめてよ」とフランスの彼女は続けました。
私たちが、クラスのお礼をサティヤ先生とそのフランスの生徒さんに伝えて、生徒さんが帰った頃には、ほぼ私の気持ちは定まっていました。
クチプディを先生のもとで習わせていただきたい事を申し出ました。
有り難くも、先生は、微笑みと共に、受け入れてくださりました。
そして、この後私は、先生にクラス入門のご快諾いただいた事を確認して、唐突な行動にでます。
今思い返すと、赤面ですし、なぜ自分が、そんな事をしたのか、理解できませんし、もう1人の私がそこにいたら、すぐに後ろから飛びついて止めていたのですが、
「日本で少しバラタナティヤムを習ってきました」と言い、「踊ります!」でしたか、「踊りますけれども、ご覧いただけますか?」と続けました。
まぁ、物凄く良く解釈してあげたなら、自らの状態をご覧いただき、これから踊りを習わせていただく覚悟を先生に見ていただきたかったのかしら?
ショートサリーと音源のカセットを持っていった事を考えあわせると、確信犯的行動ですけれども、ともかく、先生に許可をいただいて、ナマスカーラムをして、音源のスイッチを入れて踊り始めました。
なぜだか、どこかから現れたおじさんも一緒に先生の隣に座ってこちらを見ています。
あわわわわ,,,,知らない人が私を見ている。
曲はジャティ(アダウという基本のステップの組み合わせ)をスワラ(インドの音階)に合わせて踊るジャティスワラムというもの。シンプルなヌリッタ(純粋舞踊)の曲です。
ドンッ、ドンッ
初めてインドの床を踏みます。
拙いながらも、なるべくきちんと踊りたかった,,,,,,,のだと思います。
ボスッ、ボスッという音をたてて力をどんどん込めて踏みました。
それなのに、力を込めれば込めるほど、今まで味わったことのないような反動が床からかえってきます。ブーミデーヴィー(大地の女神)からのはじめてのブレッシングでしょうか?踏めば踏むほど全く力が入らなくなってきます。足にも手にも乳酸が溜まってきているのがわかります。大腿四頭筋が悲鳴をあげています。どうしようもないくらいの恐ろしいほどの疲労感に襲われました。
・・・・・・あと・・・・・ど・れ・くらい?・・・・・・・
実際は、4,5分くらししか踊っていなかったと思うのですが、さすがに自分のあぶなさを感じ取った私は、倒れる前に曲の途中でナマスカーラムをして事なきを得ました。
先生は優しく微笑んで、拍手をしてくださいました。
どこかから現れたおじさんは、「もっと力を抜かなきゃ、踊りなんか踊れないよ」と私のところに来て言いました。
・・・・まったくもって、ごもっともです・・・・・・・・
明日からクラスをいただけることになりました。
ココナッツとカンプ―ラムとお花と・・・・お寺の周りに売っているプージャセットを持ってクラスに来るように言われました。